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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1382号 判決

控訴人(被告) 千葉県知事

被控訴人(原告) 水鳥川安爾

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は次のように述べた。

(一)、千葉県長生郡豊田村農地委員会は昭和二二年八月一八日被控訴人所有の別紙第一乃至第三物件目録記載の農地(以下本件農地という。)につき、昭和二二年一二月二六日法律第二四一号による改正前の昭和二一年一〇月二一日法律第四三号自作農創設特別措置法(以下旧自創法という。)第三条第一項第一号、同法附則第二項による遡及買収計画を定めた。被控訴人はこれを不服として昭和二二年八月一九日同委員会に対し異議の申立をしたが、同月三〇日異議の申立は棄却されたので、更に同年九月一日千葉県農業委員会の前身である千葉県農地委員会に訴願を提起したところ、同委員会は昭和二三年五月二二日、別紙第三物件目録記載の農地については、豊田村農地委員会の買収計画を取り消し、別紙第一及び第二物件目録記載の農地については、訴願を棄却する旨の裁決をした。

(二)、しかしながら、別紙第一及び第二物件目録記載の農地についても、本件遡及買収計画は次の理由により違法であり、従つて右裁決中訴願を棄却した部分も違法であるから、そのうち別紙第一物件目録記載の農地に関する部分の取消を求めるため、本訴に及んだ。

(三)、本件遡及買収計画を違法とする理由は次のとおりである。

(1)、(被控訴人は不在地主でない。)

昭和二〇年一一月二三日(買収基準日)当時、被控訴人は市川国民学校長の職にあつて、市川市国府台一五番地に居住したが、既に父毋が死亡していたので、肩書現住所地にある被控訴人所有の先祖伝来の家屋及び本件農地を守るため、速かに教職を退いて帰郷する必要に迫られ且つその意思を有していた。しかし、被控訴人は、戦争中は空襲下の学童保護の職責上、又終戦後は当時の急転する社会事情による職務多忙のため、容易に退職の機会を得られず、しかも公立学校職員進退及び職務規定(大正一〇年一二月二日千葉県令第四六号)により勤務地である前記市川市国府台にとどまらざるを得なかつた。やむを得ないこれらの事情により、帰郷が遅れたが、昭和二一年三月末ようやく退職し、同年四月一五日帰郷して今日にいたつたもので、その間弟夫婦に本件農地の一部(別紙第三物件目録記載の(一)乃至(五)、(七)及び(八)の農地)を自作させ、他を小作させていた。このような場合には、被控訴人の住所は、買収基準日当時既に本件農地の所在地である豊田村にあつたと解するのが相当であるから、豊田村農地委員会が、同日現在被控訴人をいわゆる不在地主と認定して、定めた本件遡及買収計画は違法である。

(2)、(本件遡及買収計画は小作農の請求に基かない。)

昭和二二年一月二五日勅令第二五号による改正後で、昭和二三年二月一二日政令第三六号による改正前の昭和二一年一二月二八日勅令第六二一号自作農創設特別措置法施行令(以下旧自創法施行令という。)第四三条によると、旧自創法附則第二項による遡及買収計画は、「昭和二〇年一一月二三日現在において小作地につき耕作の業務を営んでいた小作農」の請求があつた場合にのみ、定めることができるのである。しかるに本件遡及買収計画は、なんら小作農の請求がないのに定められたのであるから、違法である。

(3)、(本件遡及買収計画には遡及買収を相当と認める理由が明示されていない。)

旧自創法附則第二項による遡及買収計画は、市町村農地委員会が「相当と認めるとき」に、「命令の定めるところにより、」これを定めることができるのである。すなわち相当であることは遡及買収の要件であるから、遡及買収計画には、相当と認める理由を明らかにしなければならない。しかるに、本件遡及買収計画にはなんらその理由が明示されていないから、違法である。

(4)、(本件遡及買収計画は遡及買収の相当性が欠けている。)

(イ)、旧自創法附則第二項が遡及買収を許した趣旨は、農地所有者が所有農地の買収を免れるために、同法施行前にわかに農地の所有権を他に変更し、小作地を取り上げ、又は農地所在地に住所を移転すること等を防止するにあるから、このようなことのない被控訴人の本件農地について遡及買収計画を定めることは、右法規の趣旨からいつて、遡及買収の相当性を欠くことになり、違法である。

(ロ)、本件遡及買収計画は、それによつて本件農地を買収するときは、被控訴人の生活状態が小作農の生活状態に較べて著しくわるくなるから、遡及買収の相当性を欠き、違法である。

すなわち、被控訴人は妻子三人を扶養しなければならないのに、本件農地の外には自家用燃料材にあてるべき約三反の山林を有するに過ぎず、本件農地のうち一反四畝一四歩(別紙第三物件目録記載の(一)及至(六)の農地)を自作し、年額一、二七六円の恩給を受けるだけであつて、とうてい一家の生計の資をみたすに足りない状態である。これに対し、別紙第一物件目録記載の農地の小作農等の生活状態を見ると、

(イ)、水鳥川国一は扶養すべき家族は四名であるのに、田九反九畝八歩(うち別紙第一物件目録記載の農地に属するものは三反一畝一五歩)(以下かつこ内の数字は右に同じ)畑二反四畝(一反四畝二三歩)を牛耕により耕作している。

(ロ)、伊藤政太郎は田四反五畝(四畝二六歩)畑二反二畝(なし)を耕作しているが、子が国鉄に勤務し、その収入は同人一家の生計を維持するのに十分であり、耕作は全く副業であつて、これがなくとも生活に支障がなく、被控訴人に対し小作地の返還を申出てたことがある程である。

(ハ)、鎗田武夫は、田一反一畝一五歩(なし)畑二反五畝を耕作しているが、同人は衣類雑貨等の行商を営み、弟は国鉄千葉管理部事務員として勤務し、それらの収入により一家の生計を維持するに十分であり、耕作は全く副業であつて、老毋が単身片手間にこれにあたつている程度であつて、これがなくとも生活に支障がない。

(ニ)、吉田七五郎は、田六反三歩(一畝九歩)畑二反五畝(四畝二二歩)を耕作しているが、同人は長男次男と共に大工職を営み、三男は東京の某会社に、四男は、国鉄千葉管理部に勤務し、それらの収入によつて一家の生計を維持するのに十分であり、耕作は全く副業であつて、同人の五男と長男の妻があたつているに過ぎず、これがなくとも生活に十分の余祐がある。

(ホ)、吉田刑右は、田九反六畝二歩(九畝二六歩)畑五反五畝(五畝一四歩)を耕作しているが、その耕作面積は、合計一町五反に及び、牛耕を行い、その生活は豊かであつて、右耕作地のうち別紙第一物件目録記載の農地に属する一反五畝一〇歩を被控訴人に返還してもなんら生活に支障をきたさない。

(ヘ)、根本義雄は、田三反六畝(一反八畝一〇歩)畑二反五畝(なし)を耕作しているが、同人は保険外交員を勤め、長男及び次男は馬車運送業を営み、耕作は副業であつて、同人の妻及び長男の妻がこれにあたつているに過ぎず、これなくとも生活になんら支障がない。

(四)、(控訴人主張の(五)について)本件遡及買収計画は旧自創法附則第二項によつて定められたものであるから、その当否の判断は、右附則第二項に適合するかどうかであつて、昭和二二年一二月二六日法律第二四一号による改正後の自作農創設特別措置法(以下新自創法という)第六条の二第二項第四号を適用してその当否を論ずることはあたらない。本件遡及買収計画を定める当時被控訴人が本件農地について耕作の業務を営んでいなくとも、被控訴人の生活状態と小作農の生活状態とを比較考量して、前者が後者よりわるくなるときは、旧自創法附則第二項によつても、遡及買収を相当と認めてはならないものと解すべきである。

控訴代理人は次のように述べた。

(一)、被控訴人主張の(一)の事実は認める。

(二)、被控訴人主張の(三)の(1)の事実のうち、買収基準日当時被控訴人が市川国民学校長の職にあつて、市川市国府台一五番地に居住していたこと、昭和二一年四月一五日帰郷したこと、それまで本件農地を小作させていたことは認めるが、その他の事実は不知。被控訴人は不在地主でないとの被控訴人の主張を争う

(三)、(被控訴人主張の(三)の(2)について、)本件遡及買収計画が小作農の請求に基かないで定められたものであることは認める。しかし、旧自創法附則第二項による遡及買収計画は小作農の請求がなくとも定めることができるのであつて、旧自創法施行令第四五条はこの場合について規定したものである。このことは、新自創法附則第二条の趣旨によつても明らかである。本件遡及買収計画はすなわち右施行令第四五条によつて定められたものである。

(四)、(被控訴人主張の(三)の(3)について、)旧自創法附則第二項による遡及買収計画は、市町村農地委員会が「相当と認めるときに」、「命令の定めるところにより」定めることができるのであつて、遡及買収計画に「相当と認める」理由を明示しなければならないものではない。

(五)、(被控訴人主張の(三)の(4)について、)新自創法は旧自創法附則第二項を削除し、新らたに第六条の二乃至五を加えたのであるが、その趣旨は、旧自創法附則第二項で買収を相当と認めてはならない場合を明白にするため限定的にこれを列挙したものと解するのが相当であるから、新自創法第六条の二第二項各号に該当する場合は、旧自創法附則第二項の適用においても、遡及買収を相当と認めてはならないが、右各号に該当しない場合は遡及買収を相当と認めてよいことになるのである。被控訴人が本件遡及買収を相当と認めてはならないと主張する事由の如きは、いずれも新自創法第六条の二第二項各号に該当しないから、被控訴人の主張は理由がない。

なお、農地所有者と小作農との生活状態の比較考量は、農地所有者又は承継人が遡及買収計画を定める当時現に当該小作地について耕作の業務を営んでいる場合だけであつて、被控訴人のように、本件遡及買収計画を定める当時いぜん本件農地を他に貸し付け、自ら耕作の業務を営んでいない場合には、問題とならないことは、新自創法第六条の二第二項第四号の明文上明らかである。

被控訴人及び小作農等の生活状態についての被控訴人の主張を次のように認否する。

(イ)、被控訴人が妻子三人を扶養し、本件農地の外約三反歩の山林を有し、別紙第三物件目録記載の農地のうち一反四畝一四歩を自作し、年額一、二七六円の恩給を受けていることは認めるが、その他の事実は不知。被控訴人は右収入の外に、同人の妻さくが、年額三〇二円の教員普通恩給を受けている。

(ロ)、水鳥川国一が扶養すべき家族四人を有し、その耕作地を牛耕していることは認めるが、同人の耕作面積は、田一町二七歩(三反一畝一五歩)、畑三反八畝一三歩(一反四畝二三歩)である。

(ハ)、伊藤政太郎の耕作する田の面積が被控訴人主張の如くであることは認めるが、畑は二反八畝二七歩(なし)である。同人の子は当時満一四歳で、臨時に国鉄線路工夫として日傭に出たことがあるに過ぎず、その収入が一家の生計を維持するに足りるとはとうてい認められない。

(ニ)、鎗田武夫の耕作する畑の面積が被控訴人主張の如くであることは認めるが、田は一反八畝二二歩(なし)である。同人の弟は当時国鉄の線路工夫であつたが、その収入は一家の生計を維持するに足らず、又鎗田武夫は衣類雑貨等の行商を営んでいたことはない。

(ホ)、吉田七五郎の耕作する田は七反三畝七歩(一畝九歩)、畑は三反一〇歩(四畝二二歩)である。同人が長男次男と共に大工職を営み、三男が東京の某会社に、四男が国鉄千葉管理部に勤務していることは認めるが、その他の事実はこれを争う。吉田七五郎等は家族と共に農業に従事し、単に農閑期を利用して大工職を営んでいるに過ぎない。

(ヘ)、吉田刑右が牛耕により被控訴人主張の面積の田畑を耕作していることは認めるが、その他の事実は知らない。

(ト)、根本義雄が被控訴人主張の面積の田畑を耕作していることは認めるが、その他の事実は否認する。同人は専業農家として一家を挙げて耕作に従事している。

(立証省略)

理由

一、千葉県長生郡豊田村農地委員会が昭和二二年八月一八日被控訴人所有の本件農地につき、旧自創法第三条第一項第一号同法附則第二項による遡及買収計画を定めたこと、被控訴人がこれを不服として同月一九日同委員会に異議の申立をし、同月三〇日それが棄却されたので、更に同年九月一日千葉県農業委員会の前身である千葉県農地委員会に訴願を提起したところ、同委員会が昭和二三年五月二二日本件農地のうち別紙第三物件目録記載の農地についてのみ、豊田村農地委員会の買収計画を取り消し、別紙第一及び第二物件目録記載の農地については訴願を棄却する旨の裁決をしたことは、当事者間に争がない。

二、しかるところ、被控訴人は、本件農地の遡及買収計画はすべて違法であり、従つて右裁決中別紙第一及び第二物件目録記載の農地について訴願を棄却した部分は違法であると主張し、そのうち別紙第一物件目録記載の農地に対する部分の取消を求めるので、以下に、被控訴人が本件遡及買収計画を違法とする理由について順次検討する。

(1)、(被控訴人を不在地主として定めた本件遡及買収計画は違法であるとの主張について、)

被控訴人が昭和二〇年一一月二三日(買収基準日)当時は市川国民学校長の職にあつて、市川市国府台一五番地に居住しているが、昭和二一年四月一五日千葉県長生郡豊田村(現在の茂原市)腰当一、二六六番地の現住所に帰郷したことは当事者間に争がなく、当審における被控訴本人の供述によると、被控訴人の家は元来農家であつたが、被控訴人は大正四年四月一日から昭和二一年三月一日市川国民学校長の職を退くまで教員生活をしていたこと、被控訴人の教員生活中被控訴人の父がその所有する本件農地の一部を他人に小作させ、他を被控訴人の毋及び弟と共に自作していたところ、大正九年父が死亡し、次いで大正一三年毋が死亡した後は、既に他家の養子となつていた弟が、その妻と共に耕作しながら被控訴人の家に留守居をしていたが、同人も他に家を建てて被控訴人の家を出ることになつたので、被控訴人は帰郷して農耕に従事しようと考えたこと、しかし被控訴人は当時市川国民学校長の職にあつて、同校附属幼稚園長及び市川市立図書館長を兼ね、戦時中は空襲下の学童保護の責任を感じて、又終戦後は職務多忙のため、容易に退職することができず、勤務地である市川市国府台に居住していたが、昭和二一年三月三一日にいたりようやく三一年間の教員生活をやめて、前記の如く現住所に帰郷したこと、その間被控訴人は毎月一回位休暇ある毎に帰郷していたことが認められる。以上認定の被控訴人の生活関係から考えると、昭和二〇年一一月二三日当時被控訴人の生活の本拠すなわち住所は本件農地のある豊田村の区域内にはなく、市川市国府台一五番地にあつたことが明らかであり、被控訴人が豊田村に帰郷することができなかつたことについて、前記の如き事由があつても、それ等の事由は旧自創法施行令第一条に定める特別の事由には該当せず従つて旧自創法第四条第二項の適用を見る余地もないわけであるから被控訴人を豊田村に住所を有するいわゆる在村地主とみなすこともできない。故に、被控訴人を昭和二〇年一一月二三日当時不在地主であると認定し、これを前提として定めた本件遡及買収計画はなんら違法でなく、被控訴人のこの点に関する主張は理由がない。

(2)、(小作農の請求がないのに、定めた本件遡及買収計画は違法であるとの主張について、)

本件遡及買収計画が、小作農の請求がないのに定められたことは当事者間に争がない。おもうに、旧自創法附則第二項は、「第三条第一項の規定による農地の買収については、市町村農地委員会は、相当と認めるときは、命令の定めるところにより、昭和二〇年一一月二三日現在における事実に基いて第六条の規定による農地買収計画を定めることができる。」と規定する。しかして右に所謂命令であるところの旧自創法施行令を見るにその第四三条は、小作農が遡及買収計画を定めることを請求できるものと定めてはをるが、これとは別に同令第四五条は、昭和二〇年一一月二三日現在と買収計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異る農地等については、市町村農地委員会は、遡及買収計画を定めることの可否につき審議しなければならない旨を規定し、この場合には小作農の請求を要件としていない。これから見れば旧自創法附則第二項による遡及買収計画は、小作農の請求がなければ、これを定めることができないと云うものではない。このことは、小作農の請求がなくとも遡及買収計画を定めることができることについて明文(第六条の五)を設けた新自創法がその附則第二条において、「この法律施行前に改正前の附則第二項の規定による農地買収計画に関してされた手続は、第六条の二、第六条の三又は第六条の五の規定によりなされた手続とみなす。」と規定し、旧自創法附則第二項による農地買収計画が、新自創法第六条の五の場合と同様、小作農の請求がなくとも定めることができたことを前提としているものと認められることによつても推論されるのである。本件の場合、成立に争のない甲第三号証によると、豊田村農地委員会は、被控訴人が昭和二〇年一一月二三日現在において本件農地の不在地主であり、従つて本件農地が昭和二〇年一一月二三日現在と買収計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異る農地であると認定したため、小作農の請求がなくとも、それについて遡及買収計画を定めることの可否を審議し、その結果相当と認めて本件遡及買収計画を定めたものであることが認められるから、小作農の請求によらないで定められた本件遡及買収計画を違法とする被控訴人の主張は理由がない。

(3)、(遡及買収を相当と認める理由が明示されていない本件遡及買収計画は違法であるとの主張について、)

旧自創法附則第二項によると、同法第三条第一項の規定による農地の買収については、市町村農地委員会は、相当と認めるときは、遡及買収計画を定めることができるのであつて、この場合、遡及買収計画において、買収すべき農地並びに買収の時期及び対価はこれを定めなければならないが(同法第六条第一項)、遡及買収を相当とする理由を明示すべきことを定めた法令の規定はないし、又必ずそうしなければならないと解すべき理由もないから、被控訴人のこの点についての主張は理由がない。

(4)、(遡及買収の相当性を欠く本件遡及買収計画は違法であるとの主張について、)

控訴人は、「被控訴人のこの点に関する主張事由はいずれも新自創法第六条の二第二項各号に該当しないから、本件遡及買収計画は遡及買収の相当性を欠くものでない」旨を主張するのであるが、本件遡及買収計画は、旧自創法附則第二項によつて定められたものである。旧自創法附則第二項によつて定められた遡及買収計画の適否は、右買収計画が附則第二項に適合するかどうかで定められるべきで、新自創法第六条の二第二項に該当しないかどうかによつてのみ判断すべきではない。もつとも、新自創法が旧自創法附則第二項を削除し、新らたに第六条の二乃至五を加えた趣旨は、旧自創法附則第二項で買収を相当と認めてはならない具体的要件を列挙したものと解せられるから右第六条の二第二項各号に該当する場合は、旧自創法附則第二項の適用上も買収を相当と認めてはならないものと解するのを相当と考える。しかし、旧自創法附則第二項は、市町村農地委員会が相当と認めるときに遡及買収計画を定めることができることを規定しているに過ぎないのであるから、控訴人がいうように、被控訴人主張の如き事由が新自創法第六条の二第二項各号に該当しないというだけで、本件遡及買収計画が相当であつたと速断することは許されない。

千葉県農地委員会が前示のように遡及買収を相当とした理由は、成立に争のない甲第三号証により次のようなものであつたと認められる。すなわち被控訴人は退職の上帰郷した昭和二一年四月迄は不在地主であつて、別紙第一乃至第三物件目録記載の所有農地は全部他人をして耕作せしめていたのであるから、遡及買収の基準日当時は全部が小作地と言つてよいのであるが、被控訴人の帰郷後は、弟をして耕作せしめてあつた農地の内一反四畝九歩(第三物件目録記載の分の内)の返還を受けて耕作し、外に山林二反歩余を有し、恩給年額一、二二六円の支給をうけて居る。右返地を受けた分以外の農地は元から小作地であつて、その小作料も小額に過ぎず大して生活の助になる程のものではないから、弟から返地を受けた分は買収から除き、その他の農地(本件請求にかゝる分)は遡及買収するのを相当とすると言うのである。農地委員会の認めた事実関係は小作料の額が不明な以外すべて被控訴人の当審における供述及被控訴人の弁論における陳述に合致している。本訴において買収の取消が求められて居る農地はすべて従前から他人に小作せしめて居るものであつて、被控訴人が返還を求めて然るべき理由は何等認められない。又被控訴人の争う事由も理由のないことは以下に説明するところである。従つて本件において前示事情の下に本件の遡及買収はこれを相当と認めざるを得ない。

被控訴人は本件買収を相当と認めてならない事由として次の点を主張するから以下に判断する。

(イ)、被控訴人は第一に、被控訴人が住所を変更したのは、不法に農地の買収を免れるためでないから、本件遡及買収計画は遡及買収の相当性を欠くと主張するのである。

おもうに、昭和二〇年一一月二三日の前日において農地改革を行うことが閣議で決定されたため、農地改革に関する法律の施行に先立ち、農地の所有者が所有者名義を他に変更し、小作地を取り上げ、又は農地所在地に住所を移転する等いろいろ方策を講じて農地の買収を免れ、これがため自作農を急速且つ広汎に創設して農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ろうとする農地改革の目的が阻害される虞があつたので、かような方策を以て不当に農地の買収を免れる行為を防止するため、旧自創法附則第二項の規定が設けられるにいたつたものであるが、急速且つ広汎に自作農を創設するためには、短期間に全国一せいに、大量的に農地の買収を行う必要があり、かかる場合市町村農地委員会が農地買収計画を定めるにあたつて、個々の農地所有者につき、その者の前記の如き行為が不法に農地の買収を免れるためにされたものかどうかを探求することは事実上きわめて困難であるから、右附則第二項は、農地改革の目的を達するためには、農地所有者の前記の如き行為が不法に農地の買収を免れるためにされたものかどうかにかかわりなく、昭和二〇年一一月二三日現在の事実に基いて農地買収計画を定めることができることとしたものと解すべきである。故に、本件の場合、被控訴人が昭和二一年四月一五日その住所を市川市国府台から豊田村腰当に移転したのは、不法に本件農地の買収を免れるためではなかつたとしても、その事由によつては、本件遡及買収計画が遡及買収の相当性を欠くものということはできない。

(ロ)、被控訴人は第二に、本件遡及買収計画は、それによつて本件農地を買収するときは、被控訴人の生活状態が小作農の生活状態に較べて著しくわるくなるから、遡及買収の相当性を欠くと主張するのである。しかしながら、本件農地のうち、本訴請求にかかる別紙第一物件目録記載の農地は、本件遡及買収計画を定める当時、いぜん小作地であつて、被控訴人が現にこれについて耕作の業務を営んでいないことは、当事者間に争がないところである。従つて本件の場合遡及買収によつて生ずる地主と小作人との生活状態の変動を比較しようがない。新自創法第六条の二第二項第四号は基準日以後地主が被買収地を耕作する場合に関するから本件の場合に適用ある規定ではない。思うに被控訴人はたとえ右農地の買収を免れても、経済的には右農地につき小作料を収得し得るに過ぎず、かくては、右農地を買収されて、旧自創法第三項所定の対価基準によつて定められる買収対価の支払を受けるのと、経済生活の上では殆んど差異がないから、本件遡及買収計画によつて別紙第一物件目録記載の農地を買収しても、そのために被控訴人の生活状態が著しくわるくなるものと認めることはできない。故に、右農地についての本件遡及買収計画が遡及買収の相当性を欠くものということはできないから、被控訴人のこの点に関する主張は、爾余の点について判断するまでもなく理由がない。

三、以上の次第で、別紙第一物件目録記載の農地についての本件遡買収計画が違法であると認められず、従つてこれについて被控訴人の訴願を棄却した千葉県農地委員会の裁決部分も又違法とはいえないから、その取消を求める被控訴人の本訴請求は理由がないものとして棄却すべきである。

よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は失当であるから、これを取消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 角村克己 菊地庚子三 吉田豊)

(目録省略)

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